食事が作れない
しかし私はご飯を炊くのがやっとで、おかずもろくに作れなかった。それでも子供たちがいたから、ご飯だけは炊いたのだ。
我が子たちを飢えさせることは、できなかった。
でも、おかずまで作れなかった。
そして作れないから買う、という選択もできなかった。
お金が減る一方だったから。
引越し代や新しい家のために買わざるをえなかった品々、
手続きするたびにかかる手数料・・・。

それでなくても少ないお金しか持っていないのに、
電気代も食費も何もかも節約しなければ暮らしていけないのに、
うつで、体が重くて、食事が作れないからといって、
高いお惣菜やお弁当を買うことはできなかった。
食事の質を落としてでも、
今持っているお金を少しでも手放さないようにしたかった。
不安から逃れるために、私は眠ることに逃げた。
人生に立ち向かうのがこわくなると、私はいつも眠りに逃げ込む。
だから朝早く起きることができなくなったし、
起きても、これからどうしたらひとりでやっていけるかの自信もない毎日に、
希望を失っていた。
助けてと言えない
寂しい夕食。子どもたちと私の3人だけの食事。
誰かに、食事を作る気力を失った私を夕食に誘ってほしかった。
でも誰も誘ってくれない。
まりなちゃんに電話しちゃおうか、
あの人に「助けて」って言っちゃおうかって、何回も何回も思った。
でも、しなかった。
誰かから電話が来るのを、ずっと待っていた。
そして鳴らない電話を、私を心配してくれない友人たちを恨んだ。
ひとりぼっちの寂しさを我慢して、誰かの助けを待ち続けて、私はひたすら消耗した。
幼稚園で毎日会う友人たちにも、私は苦しい、助けてと言えなかったのだ。
そして誰も、引越しした後は大丈夫?とは聞いてくれなかった。
私が、すでに普通の生活を取り戻していると思っているのだろう。
私がうつになったのは、
私が「苦しいの」と言う前に、誰かに気付いてほしかったからだと思う。
離婚してもがんばっている私に、
「だいじょうぶ?」「よくやっているね」と気づかってほしかったからだと思う。
おしゃべりするときには笑うけれど、
その裏では疲れている顔をしている私を心配してほしかったのだ。
私ひとりで、
我が子達を大人になるまで育てていけるのかという不安に苦しめられる私に、
気がついてほしかったのだ。
やる気の起きない、鈍い私の歩き方に、どうしたの?と声をかけてほしかったのだ。
たった一人で、シングルマザーとして生き始めた私を、
「よくやっているね!」
「えらいよ!」
と誰かにほめてもらいたかったのだ。
子ども二人抱えてよくがんばっているねと、認めてほしかったのだ。
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中川さんは言います。
「夢や願望の実願は、苦労や努力とは関係ないのです。」
と。
確かに、艱難辛苦(かんなんしんく)よりも、
喜ぶことの方が大事なんですからね(笑)!
ところで中川さんは、養護学校に通ったり、
遠足から帰宅すると家が火事でなくなっていたり、
新潟地震などの2回の地震、2回の水害で家が水没、
さらに離婚と不幸のオンパレードでした。
それが、
自分の人生は自分で返るしかないと気がついてから、
劇的に人生が変わったそうです!
「アナタの夢が!願望が!数週間でどんどん実現する不思議な方法! 」